【京都西山】霊仙ケ岳(536.3m)と明智戻り岩


【山 域】京都西山・霊仙ケ岳(536.3m)
【日 付】2006年9月30日(土)
【コース】曽我部町法貴−霊仙ケ岳・(明智戻り岩)
【メンバー】矢問・MICKEY
和歌山方面に行く予定が、太平洋側の天気は下り坂。悩んでいると・・・・。
「日本海側は天気がよさそうですよ」と山日和さんからの急なお誘い。
まだ風邪が完治せず咳が出るので断念。ごくごく近場で速攻の低山へ。
霊仙ケ岳 (右手奥の山)
10:00
京都府亀岡市の曽我部町法貴の集落に入る。大きなお家の倉の横のふくらみに駐車。
「山登り?気をつけて行きなさいよ。蜂にくれぐれも注意しなさいよ」と畑仕事に行くご
夫妻に声をかけられご挨拶。あぜ道には彼岸花が沢山咲いている。

地形図の点線に従い、慈雲禅寺を左に見て西進する。「黒松の碑」という祠のある地点で
行き止まり。うろうろしていると東側の家の二階の窓から道を教えてくださる奥様。
ここのお宅の敷地内に入っていたらしい。丁寧に登山口への進み方を指示していただいた。
家の前を通り表札を見るとこの集落と同じ苗字。大きな屋敷であり地主さんらしい。
彼岸花が満開だ 登山口の道標
教えていただいた通りに進むと登山口の道標。民家の横を通る。柿や栗やキウイがたわわ
に実っている。「秋だなぁ」「ホントよね〜」
草むした踏み跡を進むと右手に石灯籠と祠がある。右手は竹林帯になり、炭焼き窯がある。
分岐を左手に進むと自然林になり左手は植林帯。左手には小さな沢が流れている。
ヤブコギ低山を覚悟してきたが、案外しっかりした踏み跡だ。但し人があまり来ない山らしく
蜘蛛の巣は案外多い。静かだがやや暗くて不気味。
山道に入ると灯籠と祠 左は植林、右は自然林
分岐があり、右に青のテープがあるが、山頂への方角に合っている左が、やや深くしっか
りしている踏み跡と見て左に進路を取る。沢登りの詰めのような急登に変わっていく。
こんな角度が得意なMICKEYと苦手な僕の疲労度に差が出る。
進む方向が真っ暗になってきた。いやな予感的中。左の植林も日陰で枯葉が多いと思った
ら大岩壁で踏み跡消失。「あ〜・・・さっきの分岐は右だったか・・・」
大岩壁を右から巻いてさらに斜面をジグザグに登る。古い紐が時々ぶら下がっている。
「こんなところを登った人もいるんだな」と感心しながら自分たちも登っている。

10:55
登山道らしい踏み跡に出た。「これが右の踏み跡を進んだときの登山道だな」地形図を見
ると巻いて来ているルートらしい。地形図にある点線道はもっと南。地形図には無いまっ
たく違うルートだ。しかし山頂には間違いなく近づいている。ここからMICKEYのペー
スが速くなって見えなくなった。ここからはテープも頻繁についているので安心したらし
い。境界石が1つ2つと出だした。なんの「界」だろう。4つ目があった。その左手に古
い木札で「平峠 山頂へ」とある。左へと90度折れて進む。急に自然林の間から光が通
り明るくなって快適な気持ちの良い雰囲気の山道となった。
山頂札 東側は展望がきく
11:05
山頂に着いた。先に到着していたMICKEYが「眺めが良いよ〜」と言う。
「眺めが良いところを選んで来たんや。エアリアマップを出して同定してみたら。見えて
る山は以前登った山ばかりだから」と答える。「ふ〜ん、あれが三郎ケ岳ね。そしてあれ
牛松山ね。その向こうは愛宕山・・」と確認。記念の山頂札が沢山ある。ほとんどがア
マチュア無線のコールサインもついている。「良く聞こえるのかな」と無線機を出してオ
ンしてみる。なるほど沢山交信が入る。
三郎ケ岳 牛松山などの展望が広がる
ちょっと早めだが三角点と綺麗な石柱の所で昼食にした。スズメ蜂が3匹飛んでる。
「うわ〜、怖いなぁ」蚊取り線香をつけたらいなくなった。
のんびりしながら寿司にうどん、ラーメン。ナイトンからMICKEYにメールが来た。
「ヴァイザーが下痢をして大変だ。僕はいまから甲子園へ行く。直ぐ帰れ」とのこと。
方角石柱と三角点 快適な山道
11:50
「ヴァイザー(ワンコ)のことが心配」とMICKEYが下山開始。速い速い。もう見えない。
登ってきた所からではなく、しっかりしたルートに従って下山した。
しかし登りに通っていないルートは蜘蛛の巣もしっかりあるのは当たり前。
「うわ〜。蜘蛛の巣にやられた〜」とMICKEYの声が時々聞こえる。
正午を知らせるサイレンが鳴っている。
山頂から20分ほど下ると間違った分岐点。「やはりここか・・・」

そこから沢沿いを10分下ると竹林帯の分岐。MICKEYが待っていた。
「分岐が4つもあって分からない・・・」「来たのは右手」「本当?」「ホント!」
左に窯跡を見て進む。

12:25
石灯籠と祠の所を過ぎて登山口の道標の所へ出た。良い天気だ。
まだ風邪気味の僕と運動不足のMICKEYには手頃な低山だった。
明智戻り岩 南無妙法蓮華経・・の文字
途中で僕だけ「明智戻り岩」を見にいった。明智光秀が織田信長に秀吉の中国攻めの援軍
に行くのを命ぜられて丹波亀山を出発し、この大岩のところで急遽本能寺へとその矛先を
変え後戻りした地点の岩で「明智戻り岩」と言われている。「南無妙法蓮華経」などの大きな
文字が本能寺の変の130年ほど前に刻まれていて残っている大きな岩だ。
以前歩いた「明智越え」とともに気になっていた岩だった。

途中の里の野菜や果物を売っているところで柿を15個ほど買って帰った。
「秋だなぁ」「ホントよね〜」暑がり2人にも気持ちの良い季節になってきた。
本日のルート
この1つ前の記録は「北摂・武田尾温泉から中山経由・多田神社」の記録です