【京都】大栗(681.4m)・石仏とかき氷の歴史ハイク


【行き先】  京都府・綾部市と船井郡京丹波町の市町界 点名「大栗」681.4m
【日 程】  2007年8月15日(水) 日帰り
【メンバー】 やまあそ・丹波のたぬき夫妻・矢問
【コース】  京丹波町上栗野集落・和知山の家前−P368.4m−P546m
       −P731m西−大栗峠−大栗(681.4m)−大栗峠
       −南尾根(ふれあいの森・散策道)−林道−上粟野集落
「近場でどこへいこうかなぁ」と考えていると「体がなまってませんか〜。暑い低山で
かき氷でもしませんか〜」とたぬきさんから天の声。やまあそさんも同行とのこと。

行き先は「点名・大栗」とのこと。長老ケ岳の北西部の全く初めての山域だが、きっとお
二人が寄れば、旧道があったり石仏もあるに違いない。シブ〜い山歩きが期待できる。
ただ・・・日中の暑さに弱いので体が溶けるか、氷が溶けるか・・・。(^^;)
夏の朝遅い時間の低山ハイクは何年ぶりだろう。木陰の尾根ルートであることを祈ろう!

日本海への海水浴への車で混むR173を避けて、がら空きのR477−R9−R27−
府道51で「和知山の家」には7時半に着いてしまった。集合は9時。のんびり待とう。

時間通りにやまあそさんを乗せた「たぬき号」が到着。父たぬきさんとは無線ではよくQSO
しているもののお会いするのは初めて。母たぬきさんとも無線ではよくお話ししているも
のの2004年2月の高岳以来の山行となる。やまあそさんとも6月の高星山での出合いか
ら2度目の山行となる。
「和知 山の家」の前から出発〜 右斜め上へと登ります
9:05
和知山の家前を出発。集落に入ると川向こうに祠があり、やまあそさんが祠のそばに続く
道に吸い込まれていきそう。「やまあそさん、こっちの尾根から取り付くのでは」と軌道
修正し取り付きの踏み跡を確認していると「どこに行くの」と集落のおばさま。
「大栗峠」とやまあそさん。「それならこの川沿いの道を行きなさい」「尾根から行きた
いんです」「草が茂っていて行けないですよ」「・・」それでも行くのがこのパーティー。

尾根の取り付きからの踏み跡を登ると小さな祠がありシシよけネットで行き止まり。
竹林の斜面を登りネット沿いに右へと行くと紐で締められた開口部がある。下は山の家。
開口部からはしっかりした踏み跡でお墓がありさらに上へと続くが、途中で消えた。
「P368.4mを目指して登ればいいさ」風がなくてもう体が熱い。蜘蛛の巣だらけに苦戦。
P368.4mの三角点 「木陰だし、エエ尾根やん」
9:35
P368.4mの三角点。ここから尾根をどんどん北進する。やぶもなく歩きやすい尾根だ。
「木陰だし、エエ尾根やん」「エエ雰囲気の尾根やなぁ」とみんなが口々に。
右側が赤松林のところもあり松茸林なのだろう。日陰で実に歩きやすい尾根道だ。
やまあそさんと母たぬきさんの息のあったダジャレの掛け合い漫才を聞きながらどんどん
進む。「もう半分ぐらい進んだかな」と父たぬきさん。「まだ山頂まで4分の一しか進んで
いないですよ」と僕。「ぎぇ〜、この尾根長いなぁ」とやまあそさん。
「エエ雰囲気よね〜」 展望が開ける地点もある
小さなアップダウンが続く。登りにかかると「暑いなぁ。ウォー」「風がない。暑い」と
やまあそさんや母たぬきさんが声を出す。僕も暑い山では「暑い、暑い」とよく言うので
囲炉裏の助役に「うるさいやっちゃ(^^)」と言われるが、お二人も言うのでホッとした。

「ドテッ」やまあそさんが躓いて転けた。助けるより先に「ウワッ、矢問さんシャッター
チャンスやわ」と母たぬきさん。思わずシャッターを切った。罰が当たったのか、僕も数分
後に同じく「ドテッ」と躓いて転けた(^^;)。やまあそんが振り向きながら「ニヤ(^^)」。
木陰の尾根筋は適度に風もあり、取り付きの暑い登りを忘れさせてくれる。
花を終えたイワカガミの多い尾根道だ。

11:40
「P731mは何もないだろう」というやまあそさんの動物的なカンを信じてやや西の斜面を
トラバース気味に市町界尾根に乗った。ここからは尾根を西進する。
この市町界尾根もやぶもなくて木陰の歩きやすい尾根だ。木陰で風があり心地よい。
時々木の切れ目から北部の山並みの展望を楽しめる地点がある。やまあそさんと母たぬき
さんが山名を同定している。流石によくご存じだ。小さなアップダウンが続く。
「次のピークでランチ!」 終戦記念日「黙祷」
「矢問さ〜ん、そのピークは涼しい?木陰で涼しかったらそこでランチにしよ〜う」と
後ろの鞍部からやまあそさんの声。「えっ、山頂まで行かないの?」「動物的なカンで、
きっと大栗の山頂はランチに適していないと思う」「このピークは木陰で涼しいし、もう
終戦記念日の黙祷の時間だし、そうしましょ〜」。大栗峠の東のピークでランチ決定。

12:00
「黙祷」・・・・そしてランチタイム。何よりも持ち寄った「氷」が溶けていないかとみんな
気が気じゃない。そそくさと食事を各自済ませた。このピークは風があり涼しく快適だ。
「かき氷店の開店デッセ〜」 「家でもしない豪華なトッピングや〜」
「さ〜て、メインイベント。かき氷の始まり〜」各自が3〜4人分の氷を持ち寄っていた。
たぬきさんからいろんなシロップやら小倉あん、缶詰ミカン、チェリー、バナナはじめ色々
なトッピング材料がどらえもんのポケットのように出てくる出てくる。
やまあそさんも抹茶や粉シロップなどが出てくる出てくる。僕はチューブ練乳(^^;)
「あ〜、ウマイなぁ。チメタイなぁ」 「やまあそバージョン」
かき氷を食べ出すとヒートアップした体が、体内からスーッとクーリングダウンし始めた。
「夏の低山で、こんなにかき氷がクーリングダウンに有効とは新発見。生きかえる!!」
お代わりしてもお代わりしても 氷がたんまりある。5杯も食べて冷えすぎた感じ(^^;)

「白山から2メーターでCQが出ている」と父たぬきさん。僕の無線機は433メガにし
ていたが静かなので、145メガに合わせてみた。ハンディーで2メーターは初めて。
JR9DRR局と繋がった。福井県から日帰りで白山に登っておられるという。花はもう終わ
りかけだが、風は冷たくて涼しいとのこと。日帰りで白山に行けるとはうらやましい!

「おおきなオニヤンマ!」母たぬきさんの帽子のそばから離れない。久々に見た。
「土を掘れば字が読めそう」 「この道標も歴史的価値あるよ!」
13:25
「もったいないよ」と母たぬきさんに言われながら残った大量の氷を処分(^^;)
大栗峠に向けて下る。「石仏があったよ!」と父たぬきさん。
「おおっ、幸せや〜」とやまあそさん。埋もれている石仏の下の土を少し掘って文字を見る。

峠道のつながりやその彫られた年号、道標の役目をしている彫られた旧地名に関しての
「やまあそ&たぬき談義」が始まる。峠道や石仏はその当時の人々の息吹と想像をかき立
てる。お二人の歴史談義・地名談義のお話を聞いているだけでも楽しいものだ。

「石仏に彫られている「慶応元乙丑歳」は1865年、その3年後が明治元年」とやまあそさん。
「この石仏の表情とか口は、笑ってるね」と母たぬきさん。

10mほど先に石柱の道標が横になって倒れていた。
「おおっ、メチャ幸せや〜」とやまあそさん。「道標の梵字はアーンクという大日如来やね。
裏の年号は文政七甲申とあるから1824年」とやまあそさん。博学や〜。
この峠から北にある「カンバヤシ(上林)」「志古田」の集落の文字が彫られている。
「ゆけ」は同じく北の「弓削」の集落のことか?。「わかさ」らしきひらがな文字もある。

やまあそさんの予想では、この道は北の尾根に続き北の集落に続く道だろうとのこと。
直接尾根を山頂に直登せずこの旧峠道を進んでみることに。途中でシダの海になったが
また直ぐ開けた踏み跡道となった。
想像通り北の尾根に出た。今日は北へ下らずそのまま山頂へ。
「大栗 681.4m」 山頂 長老ケ岳も見えます
13:55
山頂「大栗 681.4m」。やまあそさんの「動物的カン」どおりランチには適さない山頂。
展望がきくところもあり、長老ケ岳頭巾山などが見える。
なかなか良い展望! 前のピークがランチ地点
古い山頂札と三等三角点前で登頂記念写真をとって、石仏と道標に興奮しっぱなしのやま
あそさんはそそくさと再度道標と石仏の「大栗峠」へ興奮しながら下山開始。僕らも続く。
下りながらの正面には、先ほどランチとかき氷をしたピークが見える。
「わくわくするなぁ」 「文字をメモしよう」
14:10
「今日、この石仏のそばで泊まりたいなぁ」というやまあそさんをなだめて下山開始。
倒れている古い「ハイキングコース案内板」には「和知山の家まで4.2q1時間30分、
あやべ山の家まで4.2q1時間30分」とある。丁度この大栗峠が中間地点なのか。
時間も時間なので、この廃道のような「ハイキング道」という峠道を南へと和知山の家ま
で下るルートをとることにした。所々にハイキングコースを作った頃の道標が落ちている。
堀切のような道 また石仏「表情がイマイチかな・・・」
14:30
「やまあそさ〜ん、石仏があるよ。瓦も散乱してる」
「弘化五年とあるから1848年やけど、弘化は4年までやから弘化五年は嘉永元年と
いうことになる」とやまあそさん。「表情があまり良くないなぁ(^^;)」と父たぬきさん。
急斜面「たぬきさん頑張って!」 「ふれあいの森・散策道」の絵看板
踏み跡が怪しくなってきた頃に林道が下に見えた。「もう直ぐそこだし、この急斜面を
下りてみます」と先行した。
林道に下りて右手(すこし林道の上方向)を見ると「ふれあいの森・散策道」の絵看板が
あり林道がカーブしていた。みんなも続いて下ってきた。
ここからは植林帯の日陰の林道を黙々と歩く。
木陰の林道で助かった〜 東屋と小さな枝沢
15:20
東屋がある。何かを祀ってあったような棚もあるが何もない。横には枝沢がある。
林道ゲートに到着
15:35
林道のシシ・鹿よけゲート。厳重に紐でくくってある。通過して再度厳重にくくり閉めた。
朝出会ったおばさんが「無事で帰ってきたね」という顔で迎えてくださった。

15:50
駐車地点へ到着。モービル無線でたぬき号とQSOしながら帰路を別れた。
渋滞もなく17時半に家に到着。は無事終了。
やまあそさん&たぬきご夫妻「石仏とかき氷の歴史ハイク」ありがとうございました!
本日の「石仏とかき氷の歴史ハイク」ルート
この1つ前の記録は沢「兵庫・引原川 万ケ谷から阿舎利山」の記録です