【北摂】多田銀山ひんやりハイク・一本松山バリハイ


【行き先】 多田銀山・一本松山(301.3m)
【期 日】 2004年8月29日(日)
【メンバー】ナイトン・MICKEY・矢問
【コース】 @金山彦神社(11:00)−青木間歩−手堀り旧坑−台所間歩−瓢箪間歩(12:00)
       A道の駅いながわ−岩屋館前階段(13:00)−一本松山北尾根
        −(13:35)一本松山(301.3m)(14:05)−P232山−ます釣り場東(14:40)
「あ〜、台風もまだ来ないし山か沢に行きたいなぁ」と昼前に言い出すナイトン。
「こ、こんな日が昇って暑くなってからは、いやや。もっと早く言えよ〜(^^;)」と僕。
「近くでひんやりするところないの?」とナイトンとMICKEY。
「近くなら・・・以前、自転車で行った多田銀山の坑道がひんやりしてるね」
「えっ、生野銀山までいかなくても坑道ってあるの?」
「あるよ〜(^^) 秀吉のゆかりの鉱山。もっと古くは東大寺の大仏鋳造のために銅を献じたと
いわれる銀や銅の産地でもあるんやで〜。車で20分で着くし、坑道は涼しいから行こうか!」

【@多田銀山ひんやりハイキング】
ナイトンの運転で県道12号線の広根から西へ入ると近畿自然歩道の「銀山」。
銀山代官所の門を右に見てさらに進むと金山彦神社。歴史解説が記してある。
数名のハイカーがお弁当を食べていた。地学の遠足や鉱物採取もまだよくされている。
金山彦神社 青木間歩(あおきまぶ)
青木間歩の坑道を入ったところ 青木間歩の坑道奥
そこからさらに進むと右手に青木間歩。昭和29年から48年まで日本鉱業が
多田銅山として採掘していた坑道が近年整備され午前9時から午後5時までは
無料で入れる。鉄格子のドア。ちゃんと電気もついているので安心して入れる。
「うわ〜、ひんやりするね〜」「こりゃ気持ちいい!」「すごい温度差やねぇ」
「生野銀山まで行かなくてもこんなところがあったんやね」とナイトンとMICKEY。
ここは機械堀りだが、その上や横には手堀りの古い坑道あとがいくつもある。
瓢箪間歩への静かな道 台所間歩の坑道口
さらに林道を進み分岐を右に行くと「台所間歩」
ここの採掘銀銅で大阪城の台所の経費をまかなっていた重要な坑道跡だ。
瓢箪間歩へ行くナイトン 瓢箪間歩の坑道内部
さらに竹林を進むと左にあるのが「瓢箪間歩」
足利時代から採掘されていた坑道で、秀吉時代に良質の銀銅が豊富に産出し全盛。
鉱脈を発見した原丹波、原淡路父子に秀吉から馬印の千成瓢幟を与えられ坑口に
立てたことからこの名がついた。
検分に来た秀吉はこの坑道を馬に乗ったまま入ったという。

【A一本松山バリエーションハイキング】
「このまま帰るのもつまらないよなぁ」
「いつもこの県道を北へ走るときに屏風岩のすぐ南西側に格好のいい山があるよね」
「登り口がわかんないけど尾根道をバリハイするか〜(^^)」と一本松山に登ることにした。
瓢箪間歩への分岐までもどり北へ。車と言うよりトラクターが走るような細い道には
「車には細いし、この先行き止まり」と書いてあったとおり、池のところで近畿自然歩道に
ぶつかり、南田原から北田原へは車では抜けられず、もとの県道へ出て北田原を目指す。
「道の駅いながわ」に車を置いて歩くことにした。

少し西に行き次に南へ行き西からのルートがあるようが、おもしろくない。
反対の屏風岩側に進み、橋を渡ったところの石柱のところを右に入ってみた。
六地蔵がありその奥は、墓石のない古い形の墓場が一帯広がっていた。
もう一方の道も偵察するが河原へ出るだけで川もあり対岸へ渡れない。

もとの県道をもう少し先に進むと岩屋館の前あたりに草に隠れた苔むした階段がある。
「これを登ろう」と登ると斜面の崩落止めのフェンスが地面に敷き詰めてある。
そこからは踏み跡もほとんど無い。「こんな所、道と違うやんか〜」とナイトン。
「獣道らしきところを進むぞ〜」と木をつかみながら登る。「なかなかきついなぁ(^^;)」
自然林をくぐったりしながら尾根筋をはずさないようにどんどん登る。
「暑いなぁ・・・・やっぱり暑いのは苦手〜」と僕とMICKEY(^^;)

途中からシダの密生となりそれが胸の高さまであり、先頭の僕はかき分けたり
登ったりと汗みどろ。こんな予定はなかったので3人とも登山靴じゃない(^^;)
岩場が出てきてシダもあり、ここで敗退か・・・と悩んだが、岩場の際をかき分けて
登るとなんとか背の高いシダの海は終わった。しかしここからも急登が続く。
「あ〜、やっと一本松山の山頂に着いた!!」3人とも顔は汗まみれだ(^^;)。
さらに手や服には木や葉の粉まみれ(^^;)
「靴が傷んだ〜。こんなバリハイはいやや〜」とナイトン。
「靴、買ってもらい」とMICKEY(^^;) 「こんな低山でも暑いときは手強いなぁ(^^;)」と僕。
一本松山の四等三角点 P232山の山頂はシダの海・・・
山頂は展望はないが三角点と山名札があり、日陰でとても涼しい。
「あ〜、このまま昼寝したいねぇ」とMICKEY。「静かだし、涼しいなぁ」と僕。
「一本松山って大きな松の木でもあったのかなぁ」と、あたりをきょろきょろ。

やはり西からのしっかりした踏み跡がある。東南のP232山方面への白テープもある。
「西へ下ると道の駅やね。僕はこっちから下りて下で待っておこうかな(^^)」とナイトン。
「そんなん言わんと、隣のP232山も行ってから下ろうや〜(;;)」と僕。
「車のところ(道のえき)から遠くなるやん(ーー;)」とナイトン。

バテバテの僕はしっかり休憩。「山頂でこんなにゆっくりしたこと無いね(^^)」とMICKEY。
東南のP232山への道を3人とも進む。一旦急な下りだ。鞍部で左(北)へ下る踏み跡。
そこからは登り。P232山の手前でまたまたシダが胸の高さ。
P232山の山頂はすべて腰高のシダの海って感じで踏み跡も何もない。
山頂を示す?赤テープのみ。「下りはさっきの鞍部から下ろう」と戻る。

その鞍部からの下りは50mほどは踏み跡があったが、その先は全くの腰高シダの海。
「どうするの・・・もとへ登り返すの・・・」とMICKEY。「戻るか・・・」と僕はナイトンを見る。
僕とMICKEYだけなら絶対こんなところも進むが、ナイトンは大抵いやがるし・・。
「あっちに道路が見えてきたしこのまま下って行ってみたら」とナイトン。
「よっしゃ、その意気!獣道でも探すし、しっかりついて来いよ〜(^^)v」と進む。
古い炭焼き釜跡 県道から一本松山を望む
北田原あたりから見るともっと格好良い
途中で古い炭焼き釜跡があった。「もう絶対古い道がある。このまま進むぞ」と僕。
しばらく木々をかき分けて踏み跡らしき所を下ると民家の古い蔵の所に出た。
ぐるっとその際を回ってみると民家。その横を静かに通り川沿いの細い道に出た。
左へ行くと、なじみの「ます釣り場」の管理小屋。「ふ〜ん、こんな所に出るのか〜」。

あとは屏風岩のバス停で飲み物を買って休憩し、道の駅からナイトンの運転で帰宅。
疲れ切ったMICKEYは後ろの座席で爆睡(^^)。 あ〜、すごい汗かいた午後だった。
この1つ前の記録は「中央アルプス=木曽駒ケ岳・宝剣岳」の記録です