【山 名】剣尾山から横尾山


【日 付】1996年2月18日(日)
【天 候】曇り時々晴れ
【山 域】大阪府北部の北摂能勢
【ルート】行者山登山口−行者山−剣尾山−横尾山−能勢の郷
【地 図】昭文社エリアマップ・山と高原の地図50「北摂の山々」1:30,000
【参考書】山と渓谷社「中高年の山ベストコース「関西周辺」」高田収編
昨日からの各地区の大雪警報や注意報で高速道路は通行止め、電車は遅れるという移動に
最悪状態。妻と朝6時の状態で決めようかと話し合う。

06:00
天気は晴れたり曇ったり。家の前の道は雪が5センチ。近場にしようと場所選び。
私と愛犬ラッキーがよく行く「剣尾山」とした。この前は1月に行った。いつも剣尾山頂上からの
展望を楽しみ、来た道を帰るパターン。今回は「展望にも人気にも恵まれない横尾山」を回って
下山を計画。3冊ほど山の解説書を見ても、「剣尾山から横尾山方面はあまり踏み後もなく分か
りにくい」とあまりぱっとしない記述。
車で30分ほどで行けるので、のんびり本や地図を見て8:00出発。
今回は息子達2人は塾があるとのことで、愛犬ラッキーを番犬として夫婦だけの山行。ローソンで
おにぎりを調達。

08:37
国道173号線行者口バス停から北東に入り玉泉寺ユースホステル横をそのまま直進。雪で滑る。
4WDに切り替えて登る。ルーテル教会キャンプ場の裏手横の草むらに車を置いて登山口へ。
登山口手前に公衆トイレが新設されている。2年前には無かったもの。右に入っていき登山開始。
階段状に道も整備されている。これも2年前には無かったもの。私は1月に来たので3度目。
妻は2年ぶり2度目なので「北摂大峰と呼ばれた修験道の行場もかわったものね」と。くるぶしまで
の積雪。無風曇り。足跡は多くない。

8:50
行者山大日岩の磨崖仏前。この行者山は修験道の開祖「役の小角(えんのおずぬ)」が修行したと
いわれ磨崖仏(岩に刻んだ仏様)があちこちの巨岩にみられる。
初めて見たときその巨大さに驚いたものだった。だれが彫り込んだのだろうか。
古き岳人は行場としての行者山を未登のままにとどめ敬意を示してきたらしいが最近はハーケンや
ボルトを打ち込むクライマーもいる。修験者にとっては大切な霊場(8か所も行場があるらしい)でも
あるので慎むべきではないだろうか。

9:20
南側が開けたところで景色を楽しみながらお茶にする。妻は「暑い暑い」とこの雪景色に不似合いな
Tシャツ1枚に。剣尾山は2キロの登りで500メートルの高度差をかせげるので結構汗が出る。
ちょっとしたボッカ訓練にもいいかも。
雪の剣尾山は静か 天気も良く気持ちいい 頂上はなかなかの積雪
9:40
六地蔵。以前はここに阿弥陀九体仏が祭られていたらしい。ここから3分ほどの所にある月峯寺跡が
大里に移されたとき大里には六体しか届かず途中で三体が山中で放置されたと伝えられている。
そのうち一体は山辺で見つかっているという。月峯寺本堂跡や石垣、井戸跡があるこのあたりは
緩やかな登り。天気は「晴れ」となり気分は最高。

9:50
最後の登りをヘホハホと登り「剣尾山頂上784m」。晴れ無風最高\(^o^)/
15人のグループと夫婦1組の17人が先客であった。
おにぎりを食べながらあの山は何という山かなぁとか妻と展望を楽しんでいた。山頂には巨岩が点在
していて北摂の幾重にも重なる山並みが360度楽しめる。
山名の由来は、山上で護摩修行中に天から不動の利剣が下ったことによると伝えられている。
一名「下樋山」とも呼ばれ万葉集には「ますかがみ ただ目に見ねば下樋山 した行く水の上に出す 
吾が思う心 安からずとも」と詠まれた歌が残っている。この山が水の豊かな山であったことを物語っている。
(「樋」とは水を引く管とか水門を意味する。現在でも山頂の東には湧泉池が見られるらしい。
記録としてはここに尼僧が侘び住まいをしていると大正時代の登山者が書き残しているとのこと)
先客の17人は元来た道を戻りながらの下山に出発した様子。
妻と横尾山への道を見る。雪に先行者の足跡全くなし。タヌキのような小動物の足跡があるのみ。
行ったことの無い道。しばらく行くか行くまいか悩む。

10:08
「行けるところまで行ってみるか」と出発。5分もしないうちにタヌキの足跡も無くなり真っ白。
気分はいいが不安も・・・。アイゼンを持っているもののつけずに進んでいるので滑る滑る。
でもストックもあり危険もないので結構楽しんだ。

10:26
少し登り返したところで左右に道が分かれるので左へ。少し行くと国界の石柱。
「丹波・摂津」と彫られている。直進か左か悩んでいると看板に鉛筆で「横尾山左」とか
赤テープで矢印が小さく付いている。しかし道というより熊笹だらけで首までの丈の雪の
積もった熊笹のやぶこぎとラッセル。

10:48
熊笹の雪かき前進でびちょびちょ。妻とともにカッパを着る(いつも遅すぎる)。

11:06
横尾山頂上784.9m。熊笹が多く、なるほど展望は北側に少ししかない。
「一等三角点」を誰かがマジックで一本増やして「二等」にしている。気持ちは分かるが・・。
現在剣尾山と呼ばれている場所は尾根の高台にすぎず、この横尾山が標高から言えば頂
上であるらしい。しかし月峯寺が現在の剣尾山に建立され賑わい、現在の横尾山まで足が
運ばれず、いつの頃からか名前も移り変わったらしい。名前もとられ以後に「横尾山」と名付け
られたとのこと。土地の人は「本家の剣尾山という名がとられたので、この山はふてくされて
横を(横尾)向いている」と面白おかしく語っているという。
ここでも二手に分かれ道。熊笹に囲まれ、道が全く分かりにくい。どこかのハイキングクラブ
「MPC」とかかれた95年の赤テープにマジックで「能勢の郷右手」を頼りに進む。
首までの藪や熊笹の連続。雪がそれらに積もっていて、冷たい冷たい。藪と熊笹から抜け出る
と南と西が開けた。すばらしい眺め\(^o^)/。
やぶこぎの後のこの景色はうれしい(^-^)。ここからは岩山を下ったり登ったりの連続
(滑ったり転んだりの方が正しいかも(>_<))。鹿かイノシシの足跡が点在。
藪の中は大変でした 下りは2人とも尻餅ばかり
12:05
「頂上広場」到着。振り返ると「進入禁止」「通り抜けできません」と白看板。
その左上にマジックで「横尾山頂から剣尾山へ1時間半位」と記されている。
急な坂道と書かれている「さわがに広場」方向へ。それほど急ではない。
下りながら、今まで歩いてきた剣尾山や横尾山を振り返れる。「すごい。」と妻。

12:28
「さわがに広場」到着。広場とは言えないが木のテーブルとベンチが1つある。
向かい側斜面からイノシシか鹿の悲痛な鳴き声。わなにかかったのか、崖から落ちたのか
5分くらい続いた。どうしてやることもできない。動物に優しい妻が「かわいそうに・・」と(;_;)。

12:40
「水辺の広場」到着。

12:48
「つづらおれ口」到着。能勢の郷の郷土館の横を通って行く。
くぬぎが多く、「関東の佐倉炭」とならんで「関西の池田炭」と言われた炭をつくっていた
炭焼きかまの跡も。池田炭は「菊炭」と言われ茶席で使われていたと記憶するが。
炭の切り口が菊のようだかららしい。
池田には「池田炭」という煎餅もまだ売られている。

13:00
車のところへ到着。着替えて自宅へ。道の雪はほとんどとけていた。

小動物の足跡をたくさん見ることが出来た山行であった。「もっと足跡を勉強すれば楽しいだろ
うね」と妻。私も同感。φ(..)メモメモ
初めての足跡のない雪道でのやぶこぎも心地よいものだった。
剣尾山頂から横尾山経由の能勢の郷下山コースの熊笹がもう少し少なければ言うこと無い近
場コース。剣尾山からの展望は低山ながら本当にいい。
今日は妻との2人での登山の割には三脚で多くの写真を撮った。記念記念。
帰宅して息子達からも「雪道は人が少ない方がいいね。この前の愛宕山は最悪だったね。
あの雪を踏みしめるときの「キュッキュッ」と言う音が気持ちいい。」と。
来週はファミリー全員でどこへ行こうか・・・。

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下の写真は、1993年7月25日にワンコのラッキー(シェルティ 1989/11/16生 牝)と共に

小3と小2の腕白息子 ラッキーとお昼御飯 ながめは最高
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下の写真は 1998年9月20日にワンコのヴァイザー(M.シュナウザー)と散歩登山に
さあ頑張るぞー あかん・・水、水くれぃ あー、シンド・・・ 頂上の景色はGOOD

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2000年4月9日 山ネットでの山行
長男(ナイトン)、次男(コマドン)も参加。囲炉裏からも大勢参加してくれた。
もう息子も高一と中三になりました。ここは行き慣れた山です(^^)
剣尾山から横尾山、そして下山後は簡保の湯へ。
みんな遅いなぁ 焼き肉・シャブシャブ 参加者も多いでしょ 横尾山からの下山
囲炉裏の仲間との「剣尾山ハーレムオフ」のページにリンク