【行き先】 飛鳥の里 歴史ハイク


【日 付】1997年(平成9年)11月16日(日)
【天 候】晴れ(実に暑かった)
【ルート】近鉄阿部野橋駅西口集合−近鉄南大阪線明日香駅
     −高松塚−鬼の爼・鬼の雪隠−石舞台−(酒船石)
     −飛鳥寺−橿原神宮駅−阿倍野駅 解散
【地 図】明日香駅前の観光案内所で100円で購入した地図
【参考書】橋詰さん作成の資料、日本史の教科書や観光案内図書など。
      現場でのHZさんと堀江さんの名解説。
【参加者】視覚障害者:13名
       晴眼者:30名 = 総合計43名

5:30
今日は年に2回の地区のクリーンアップ作戦日。朝8時からだが、先にする事だけ
はして妻にバトンタッチしないと。溝の会所3カ所のヘドロかきをして20リッター
ほどネット袋にためた。ご近所の迷惑にならないよう、こそ泥のように音を立てずに・・。
6時50分の電車に間に合うように出発。

8:00
阿部野橋西口に到着。昨日どぼたんさんに「西口」と聞いていたので迷わずいけた。
MTさん、STさんが受付をしてくださっていた。私は名札配りを担当した。
KSさんとTGさんはどこの改札かよくわからず違う改札で待っていたとか。
見つかって良かった。やはり誰にもわかるよう「改札口」は名前の明記が必要。
滑り込みでHTさんも合流。
KABAさんの荷物を分担。私は小豆缶を3つ依頼された。

8:50
吉野行き急行に乗車。途中で合流のはずのPANCHOさんとその友人がいない。
堀江さんとどぼたんさんが携帯電話で連絡するも留守電状態・・・。
ひょっとしてまた寝坊かなと頭をよぎる。きっと昼食には間に合うだろう。

9:40
明日香駅到着。KU夫妻と合流。
古墳時代から我が国に移住してきた多くの渡来人たちが、さすらいの果てに得た安住
の地「安宿(あしゅく)」が転じて「あすか」になったと言われ、さらにその枕詞の
「飛鳥」も「あすか」と読ませることになったという説が有力らしい。
駅を出て右手で班分け。スタンプラリーもしているせいで、電車の中はすごい人の数
だった。今日はHZさんがリーダー。
私はSRさんとペアを組む。神戸に住む岐阜出身の方。
イチョウの枯れ葉の絨毯を踏みしめながらいざ出発。

10:15
タイムカプセルと称して、100円で木簡に名前やメッセージを記入するテントが
あった。何でも商売にするのだなあ。
高松塚壁画館を通過して、高松塚古墳に到着。
昭和47年に発見された。規模は直径18メートル、高さ5メートルにすぎない
小円墳。竹がぼうぼうと生えていて囲いや説明がないと見過ごす。
被葬者はかなり高貴な人物とされ、一説に天武天皇の皇子の忍壁(おさかべ)
親王との見解があるがあくまで推論の域を脱していないとのこと。
うーっ、それにしても暑い!!
堀江さんの解説でお勉強でーす


11:01
山のすそには柿とミカンがずらりと植えられていてたわわに実っている。
鬼の爼(まないた)、鬼の雪隠(せっちん)に到着。
2つの巨石は、もとは一組であった古墳の石室材と推定されている。
古墳が壊され、現在の姿になって残ったとされる。
昔、ここに住んでいた鬼が、人を襲い、爼(まないた)の上で料理し、雪隠で用を
たしたと言う伝説がのこる。雪隠を手で触れた。
墓石、石棺の一部を雪隠だなんて、なんかバチあたり・・。
説明もそこそこに、どぼたんさんは一服プカプカ。おいしそう。
右手に天武・持統天皇陵(672年、壬申の乱で兄天智天皇の大友皇子を倒した
大海人皇子(即位後に天武天皇)と、その皇后で後に女帝として皇位を継ぎ藤原宮を
造営した持統天皇の夫婦合葬墓)を見ながら亀石へ。
25年前に来たときと全く違う町並み・・。家も多い、道も綺麗すぎる。

11:13
亀石に到着。雑誌で見ていたのと印象が違う。もっと大きいと思っていた。
花崗岩の巨大な自然石に亀に似た彫刻がほどこされている。
以前は北向き、つぎに東面した。そして現在南に面しているが、西のほうを向いた
とき、大和一円は泥の海と化す。というこわーい伝説が村に伝わっている。
みんなで触れてみた。
すぐ横でキュウリや里芋などが100円で売られている。SJさんや数人が
キュウリを購入。みちみちに柿やミカンも売っているが大きさや個数が少しずつ違う。
どこの売場が得か見極めるには一周しないとダメのよう・・・。
亀石を出発しようとした矢先、松ノ木さんが溝に落ちて足を痛めた。
もうすぐ東京での大事な試合がある。痛めている膝をさらに痛めた様子。
大丈夫か心配。次回のパラリンピック日本代表を目指す大物選手だ。
体重がかかった落下ですごく痛そう・・・。

11:30
橘寺到着。
仏頭山を背にした橘寺は、四天王寺式伽藍の大寺であったことが確認されており、
寺院としては異例の東面という特殊な遺構。
太子誕生の地とされており、太子建立七大寺のひとつで、さまざまな太子伝説が
伝わっている。
境内には「二面石(高さ1メートルほどの石の左右に男女の顔が彫られており、人の
心の善悪二相を表したものとされている)」や美しいタチバナ形の塔心礎などがある。
また、イチョウのきれいな絨毯の上を飛鳥川に沿って石舞台に向かう。
右手に猟友会の「鳥獣供養の碑」という4メートルほどの大きな石。
イチゴのビニールハウスや飛鳥ナスや大根の畑が多い。

11:52
石舞台古墳到着。「腹へったー」とあちこちから。YUさんのリュックから大きな
ポットが。重かったろうなぁ。どのペアも食事開始は素早い動作。
ぜんざいシェフたちも料理開始。
ぜんざいもおいしかった。鍋物をするグループも多かった。楽しいひととき。
ジャジャーン。やはり!PANCHOさん到着。昼食時には強い。汗びっしょり。
10時30分まで寝てしまったとのこと。「パティオでの途中乗車の打ち合わせは
何だった?」との声に苦笑い。さらにこの地で育ったというYKさんもミカンの
差し入れをもって合流完了。
アルコールでいい顔色になっている人もチラホラ。

13:25
第30回の記念すべき記念写真。10回参加のMDさんに「元気賞」の表彰。
パチパチパチ\(^o^)/。
自己紹介開始。山登りよりこのようなウォーキング企画も増やしてほしいとOTさん、
そしてTGさん。もと若者のSTさんの倒立に続き若者のKM君の倒立歩行も披露。

13:52
HTさんによる「サポート講座」
@大きさはまず全体像を説明して、外観をイメージしてもらいながら さわってもらう。
A段や溝があるときは口で説明するよりも杖で確認してもらう方が良い。
B電車に乗り込むときなどは足の着くべきところに杖をつけると安心。
 さらにHZさんから
C道を歩くときは車側に晴眼者が歩くように右に左に交代する。
 (ただしケースバイケースで、今日の私のペアのSRさんのように常に右に
 サポーター希望の人もいる)
さらにMTさんが視覚障害者の立場から
D登りより下りが恐ろしいので「下りが始まる」とはっきり伝えてほしい。
講習も女性のHTさんの時は男性は「ウンウン」とうなづいて真剣に聞いていた。
女性はとく、本当にとく。HTさん。
大変勉強になった講習のあと、石舞台へ。デカイ。

 さあ、いよいよ中に入るぞぉー

我が国最大級の石室を持つ方形墳。相当優れた巨石運搬技術が要求されたことを
物語っている。「順路」を全く逆行して見学開始。
横穴式石室の広さは約8坪。使われている石の総重量約2300トン。
なかでも最大の巨岩である天井石は77トンにおよぶらしい。
古くから封土が失われ露出した巨石の形状から「石舞台」の名がある。
この付近に邸宅のあった蘇我馬子の墓とされているが確証はされていない。
一般には石の形からとされているが、狐が女に化けて石の上で舞を見せた話や
旅芸人がこの島ノ庄にやってきたが舞台がなかったので、仕方なく大石を舞台に
演じたという話などの伝説もある。
石舞台に登ってはいけませんとあるのに登ったSTさんに向かって放送で注意。

14:15
石舞台を出発。時間の関係で酒造りに使用したとか宮殿内への大導水施設の一部
とかの説がある奇妙な彫刻がほどこされた巨大な花崗岩の「酒船石」を通過。

14:45
シルクロードの最終着点で日本の起点といわれ、日本最初飛鳥寺、新西国第9番
霊場とある飛鳥寺到着。
大化改新の2人の主役、中大兄皇子と藤原鎌足が初めて出会った寺とのこと。
境内で蹴鞠をして遊んだのが蘇我氏打倒へのきっかけとなったとか。
596年、蘇我馬子の創建による日本で最初の本格的寺院で寺名を法興寺、
元興寺、飛鳥寺(現在は鳥形山安居院(あんごいん))とも呼んだ。鞍作止利の
作と伝えられる日本最古の丈六の金銅釈迦像(飛鳥大仏)が安置されている。
馬子の孫に入鹿(いるか=海豚)や赤兄(あかえ=魚のアカエイ)、蘇我石川麻
呂の子に赤猪、石川朝臣蟲名(ムジナ)、蘇我田口臣蝙蝠(こうもり)など動物名が多い。
これは古代朝鮮人の名前のつけかたの影響。蘇我氏は朝鮮渡来系の豪族だから
れっきとした由来の名である。境内をみんなで歩いて、鐘をついた。この鐘は昭
和33年に青木一郎博士の設計で1分20秒の余韻があるようにされている。

15:05
入鹿(いるか)の首塚。討ち取られた入鹿の首をこの地に埋めたとも、鎌足を
追って首があちこちへ飛び回ったための供養塔ともいわれ、別名胴塚とも呼ぶ。
てっぺんの石はぐらぐらしていた。バス組3人と分かれる。
ここから流れの弱くなった飛鳥川沿いに歩く。

15:30
駅への途中で大和三山を見る。畝傍(うねび)、耳成(みみなし)、香久(かぐ)
山。耳成が見えにくかった。「天(あめ)」の呼称がつく香久山は大和の国魂の
宿るところとされ、万葉集の舒明天皇の「国見の歌」や持統天皇の歌に詠まれている。
他に、天智天皇がこの三山を男女に見立てて詠んだ歌があり「大和三山の妻争い」
の説話として知られている。この地で育ったというYKさんの歌の暗唱は素晴らしかった。

15:48
橿原神宮駅に到着。バス組と合流。平坦な道なのに舗装路は足が疲れる。

16:01
阿部野橋駅行きの急行に乗車。行楽客で満員。
松の木さん足痛そう。

16:45
阿部野橋駅到着。16:55解散。打ち上げ組と分かれる。
帰り道が分かりにくいというSRさんと帰路へ。
足がだるそうなので環状線、御堂筋線をさけ、谷町線で座って梅田へ。

17:25
JR大阪駅の神戸線ホームまで同行して分かれた。
天気に恵まれたウォーキングだった。みなさんお疲れさま!!